1973年横浜港からバイカル号に乗ってナホトカ、そこからシベリア鉄道でハバロフスクに向かいました。車中通路で北川先生が「朝倉さん、あれがブーリャンです」とおっしゃられ、そのあと車窓から見える地平線のかなたをジィーッと見つめられ感慨にふけっていらっしゃいました。その後元団長の北澤さんの強い要望により、北川先生が「道」のソロをやりました。「おー道よ、たつほこり・・・・・・寒さに震え、しげるブーリャン」。その後ろ姿はシベリア鉄道の中で見た姿でした。

 話は変わりますが、50周年でステンカ・ラージンを歌いますのでそれを調べていたらステンカ・ラージンが大敗を帰したシンビルスクは今はウリヤノフスクと言います。なぜ名前が変わったかと言いますと、捕獲されてから200年後にレーニンが生まれたのでその名前をとって変えたそうです。その南東約150キロメートルにサマラ、そのまた南約20キロメートルのところにノボシビルスクという町があります。ノボシビルスクは先に書いた旅行で北川先生とご一緒したところでした。私そこで絵を描いていると、一人のロシア人男性が来て☆○.○☆○.と言います。そばにいた古岩井利広さんが「家に来て娘を描いてくれ」と通訳してくれました。私はその家に訪れ2歳くらいのジェーブシカ(娘さん)を描きました。すると水彩画のお礼ということでヴォッカをハチミツをなめながら少しいただきました。結果帰路は千鳥足もかなり進んでいました。その時北川先生はたぶん「朝倉さん酒は飲んだ方がよい」とおっしゃられたのではないかと思います。練習が終わると紳士の酒場「叶屋」でいつも飲んで帰りました。その折「バスは酒を飲み、煙草を吸う」これが先生の口癖だった気がしますので。

 これは決して我田引水ではありません。横浜労音合唱団の頃、藤沢にあるユースホステルで合宿をしました。ユースホステルですから酒はご法度です。そこで北澤さん、加藤さん、栗原さんそれに私などバスが中心になって酒を持ち込み部屋で飲んだこともありました(※ここに登場している人はあくまでも私の記憶です)。またグルジアを訪れた時そこの合唱団の低音にしびれましたが「なぜそのようなすばらしい低音が出せるのか」お聞きしたところ「グルジアはワイン発祥の地、特にツナンダーリのワインを飲んでいるから」ということでした。先達て北澤さんにグルジアの「ピロスマニ」というワインをいただきました。これがまたとびきり美味。感動もの。アッという間に飲んでしまいましたが、じっくりでなくアッという間でしたから私の低音は未だに・・・・。

 すみません。「ライ麦とヴォッカ」に引き続いての酒談議になってしまいました。ただ言えることは未だに北川先生の教えを忠実(煙草は吸っていません)に守っていることだけは事実です。

朝倉久 2018年8月21日 

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