今年の定演のお客様アンケートに「ロシア民謡を次の世代に引き継がないと消えてしまう心配、感じられます」「ロシア民謡をたんのうした」との記載がありました。ゲストの八木さんもさかんに「ロシア民謡」を連発していましたね。実態?はロシア民謡と表記したのは23曲中5曲でしたが、「道」の演奏会に来れば「ロシア民謡」を聞けると思っているお客様も少なくないのではないでしょうか。演奏曲すべてがロシア民謡でなくとも“横浜でロシア民謡を歌い続ける”合唱団として受け入れられてきたと思います。以前の総会での議論でも同じ結論でした。個別の曲については作曲者などを明記すれば済むことで、ことさらに「私たちが歌っているのはロシア民謡ではない」と宣言する必要もないでしょう。
日本で「ロシア民謡」というとき、日本語の「民謡」ともロシア語の「фолъклор」とも異なることは多くの方が指摘しています。文化の違いもあります。「ロシア民謡」というジャンルは、日本では「民謡」と呼ばれているにもかかわらず、その内実はロシア語で Народная песня(人民の歌、民衆歌謡)と呼ばれたソ連時代の多くの流行歌、愛唱歌からなっている〔Wikipedia〕という理解は妥当でしょう。「ロシア検定(中村初惠)」でも同様の記述があります。また、ブランテルのような大衆歌曲の作曲家が《カチューシャ》のような名曲をたくさん発表し、それらは半ば民謡化している「ロシアを知る辞典(伊東一郎)」という見解もあります。いずれにしても、口承文芸の民謡ではないけれども「ロシア民謡」として認識しています。「民謡」はVolksliedの翻訳とされていますが、「民衆歌謡」の略語と解することも可能ではないでしょうか。(元来Volksliedはそのような広義を持っていたようです)しかし、総会で話があった山之内重美さんは、ロシアの民謡は野太く強靭な地声で…都市生活者が口ずさめるレベルでない。そろそろ『ロシア民謡』と呼ぶのはやめよう〔うたごえ新聞〕と述べ、(日本で歌われている)「ロシア民謡」そのものを認めない立場です。ただ、専門家の意見の良し悪しを判断するのは主体側の権利だともおっしゃっています。
標語としては、(どこで)(何を)(どうする)と、多少の強調はあっても、シンプル・イズ・ベストです。“横浜でロシア民謡を中心に歌い続ける”は、より正確ではあっても言い訳に聞こえたり、(どこで)(どのように)(どうする)という構文で、目的句がないため洗練されていません。「とと姉ちゃん」の花山編集長ならただちに没でしょう。といって反対という訳ではありません。「中心に」というのは「その他の歌も歌う」という意味のようですが、“中心”というのは拠り所です。質的にも量的にも「ロシア民謡」が中心になるよう方向づけを期待します。来年のプログラムもロシア民謡中心かどうか疑問に思われます。道通信1400号で「マロースカ」に触れています。青山先生の創作曲だからロシア民謡ではないとの主旨のようですが、「トロイカ」や「カリンカ」のモチーフが使われて「ロシア民謡」を歌う合唱団への贈り物だと思います。また、エストニアの「わが祖国わが愛」では私たちの至らなさもありました。しかし「道」が「ロシア民謡」を歌っていなかったらこの歌を取り上げたでしょうか。正しい理解を深めたうえで歌うことが文化の理解、友好につながるのではないでしょうか。「ロシア民謡」を標榜する合唱団は、わが国の歌を歌うなとは大使館も言わないでしょう。
→「道」通信
団員プロフィール
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